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京都府の「河原町」に関する観光スポット35件を紹介!
明治2(1869)年に創設された、元開智小学校の校舎を改装した学校資料の博物館。近代学校教育の発祥地、京都の学校に伝わる貴重な歴史資料や美術工芸品などを展示紹介している。
平安京造営以前に、京を治めていた豪族賀茂氏の氏神。本殿は、檜皮葺き、三間社流造りで国宝。祭神は賀茂族の賀茂建角身命と玉依媛命。世界遺産に登録されている。
幕末の公家、三條実万・実美父子を祀る社。境内および参道には約500株もの萩があり、京都を代表する萩の名所として多くの人が訪れる。境内にある染井の井戸は京の三名水として名高い。
古くから子授け地蔵の寺として信仰されている。明治天皇の御生母、中山局が詣でて、世継ぎの男子を授かったことで知られる。
掛町の辻堂にある石造阿弥陀坐像。油をかけて祈願すると諸願成就するといわれ、地元の人々に親しまれている。
京都の歴史に関する資料の展示や図書の閲覧ができる資料館。映像展示室では京都の歴史に関するビデオを視聴できる。他にも歴史相談や講座の開催も行っている。
賀茂川と高野川が合流する北側一帯。下鴨神社と河合神社の神域を包み込むように鎮守の森が広がる。
革堂の名で親しまれる1000年の歴史を持つ寺。その名の由来は、開祖行円上人が常に革の衣をまとっていたからと伝えられる。
京都を代表する情緒豊かな通り、先斗町は夕刻ともなると、舞妓がお座敷へ向かう姿が見られる。木屋町は幕末に勤皇の志士らが投宿した家などもあり、暗殺事件の舞台となったところ。
安倍晴明像が安置されている浄土宗西山深草派の寺院。誓願寺の塔頭の一つで、本堂の本尊阿弥陀如来像はもと東山松原にあった清円寺の遺仏といわれる。拝観は予約制。
昭和10(1935)年、大石内蔵助の義挙を顕彰するため、その隠棲地に創建された社。宝物殿に内蔵助の書など、ゆかりの品を展示している。12月14日には義士祭が行われる。
赤穂藩の城代家老、大石内蔵助が松の廊下の事件後、隠棲した寺。本尊の不動明王は内蔵助の念持仏。境内には四十七士の像を祀り、遺髪塚などがある。
清水寺境内の奥から山道を上ったところにある平安時代創建の古刹。平清盛に高倉天皇との仲を裂かれた小督局が出家した寺として知られる。境内には小さなお堂が建つ。
「京の五条の橋の上…」と童謡にもうたわれた、弁慶と牛若丸の一騎討ちをコミカルに再現したモニュメント。下水道工事のため、五条大橋西詰の公園内に移設されている。
下鴨神社の楼門手前にある。2本の木が途中から1本になっていることから、縁結びの御神木と言われている。
山科清水焼団地にある清水焼の窯元。湯呑み、花びんなどの素焼の器に、下絵をつける体験を行っている。体験作業時間は40分程度かかる。他、手びねりの体験もできる。(要予約90分)。
長保年間(999〜1004年)に歓喜寺の鎮守として創建され、菅原道真を祀る。錦市場の東端にあり、知恵の神、商売繁盛の神として信仰されている。境内には、名水が湧いている。
病気平癒などに霊験のある蛸薬師如来を祀る。病気の母親のため、禁をやぶって蛸を買った僧が祈ると、蛸が法華経に変わり母親が快復したとの伝説あり。
幕末の儒学者頼山陽が、その晩年を過ごした書斎。夏冬の京都の気候をしのぐ様々な工夫が施される。鴨川の清水、その向こうに広がる東山三十六峰の眺めはその名の通り。
河原町三条を一筋下がった龍馬通に立つ木の専門店。かつて坂本龍馬が投宿していた290年続く材木商。龍馬が投宿し海援隊京都本部であった2階は、現在も当時の梁が残り、ギャラリーになっている。
紫式部の住居跡といわれ『源氏物語』などの作品が書かれたとも伝わる古寺。本堂には紫式部関連の史料を展示している。節分に行われる「鬼法楽」でも有名。
良縁結び、子授け、夫婦の不和の円満解決にご利益ありと、女性のお詣りが多い神社。「市比売(いちひめ)さん」は女性の守り神として知られている。
河原町通と新京極に挟まれた、細長い南北の通り。道を挟んで寺院が並び、その間に庶民的な飲食店が点在する。
昭和初期に建てられたノスタルジックなビル。エントランスのひさしの上のアーチ型の装飾や、縦の線を強調した窓の配列が素敵。
同時代ギャラリーは、歴史的なたたずまいを残す1928ビル(旧毎日新聞社ビル)にあり、ギャラリーとしても独特の雰囲気がある。
玉依姫命という女性の守護神が祀られていることから、美への願いが叶うといわれ女性から信仰を集める。自分の顔に見立てて化粧を施す鏡絵馬で、美しい女性を目指して。
文徳天皇の皇后藤原明子(染殿皇后)が、この地蔵に祈願して清和天皇を産んだといわれる。現在では安産のご利益で名高く、女性の参拝者が絶えない。
観光地へのアクセスや交通情報など、京都の観光情報を求めて多くの人が訪れる民間の案内所。京都市交通局の乗車券やガイドブックも販売。
幕末の慶応3(1867)年、坂本龍馬・中岡慎太郎が刺客に襲われた醤油屋近江屋の跡。「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地」の石碑が立つ。
江戸時代初期から明治4(1871)年まで、土佐藩邸があったところ。坂本龍馬が脱藩罪を赦された時、ここで数日間の謹慎処分を受けた。高瀬川沿いに碑が立つ。
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